管理人のネットとパソコン遍歴 ネット内職に生きた黎明期

唐突に私のネットとパソコン遍歴を書きたくなりました。勤めていた会社(正社員)の退社をターニングポイントに、それ以前のパソコンとの出会い、ポイントサイトとの出会い。それ以後のクラウドソーシングとの出会い、そして現在までの自分史を綴っていきます。

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パソコン、インターネットとの出会い(2000年頃)

私のパソコンとの出会いは中学生でしたね。近所の家電量販店で親にパソコンをオネダリしてみたところ、意外や意外、すんなりと買ってもらうことができました。価格は10万円くらいで、NECのVALUESTAR(バリュースター)です。

めちゃくちゃ懐かしいですよね(笑)。当時は、割とポピュラーな機種だったような?OSはマイクロソフトの問題児「Me(ミレニアムエディション)」。

周囲の友達にパソコンを持っている人は、ほとんどおらず、かなり先駆けてましたね。しかし、インターネットに繋がったのは、もう少し先の事なので、最初は目新しさで色々いじっていたものの、1ヶ月後には、ほとんど触らなくなってました。

インターネット開通!!

数ヶ月後に再び親にオネダリをして、ようやくインターネット開通となりました。人生初のプロバイダは、BIGLOBEさんで、パソコンに付いてきたCDから申し込んだと思います。

今じゃ考えられませんが、コテコテのメタル回線なので、インターネットに接続する際には、1分間くらい「ピーピー」鳴った後に、ようやく繋がるという感じでした。

しかも、我が家は電話回線とインターネット回線が同一なので、インターネット利用中は固定電話が使えませんでした。これ、最近の若い子は絶対知らないよね。

ISDNもADSLも既に存在していたと思うのですが、料金が高かったのか、普通のメタル回線でした。ただ、光ファイバーの料金がめちゃくちゃ高かったのは印象的でした。

インターネット開通で世界が広がるかと思いきや、今思うと、かなり限定的な使い方をしてましたね。専ら、ヲタ真っ只中だったモーニング娘。のファンサイト巡りとゲーム攻略サイト巡りが中心でした。それと、夜な夜なアハン系のサイト巡りもしてましたね。

ただし、アッチ系のサイトは、ナローバンドということで、画像すらいっきに表示されません!!3~5分割くらいの時間差で表示されるという感じで、動画なんてもってのほかでしたね。そんな感じなんで、思春期にもかかわらず、エ○サイト巡りも、すぐに飽きてしまいました。

珍事!!ダイヤルQ2からの挑戦状!?

多分、アハン系のサイトを手当たり次第ネットサーフィンしていた時に引っかかったのだと思いますが、全く身に覚えのない請求書が自宅に届いたことがあります。1分くらい接続して1000円程度の請求書だったのですが、ダイヤルQ2からでした。

ダイヤルQ2も、もはや死語といっても過言ではありませんが、NTTのサービスです。情報料を電話料金に付加して徴収するサービスのようですが、アッチ系のサイトによる詐欺なんかも横行してたんですよね。

ただ、私はその辺はかなりドライな性格なので、オカンに「あんた、変なところから請求きてるよっ!?」なんて言われて、「身に覚えもないし無視しておけばいいんじゃね?」的なことを言って、特に何もありませんでしたね。

松浦亜弥友の会

当時のネットサーフィンで、ダントツに利用していたジャンルがモー娘。(ハロプロ)のファンサイトです。その中で、唯一覚えているのが「みやわん」さんが運営していた「松浦亜弥友の会」。

彼のライブ遠征日記なんかが大好きで、「いつか自分も」なんて思いを馳せていたものです。当時の私にとって、アイドルのコンサートは、ほんとに別世界で、費用は頑張れば何とかなったのかもしれませんが、とてもじゃありませんが行く決心がつきませんでした。

結局、今までに一度もハロプロはおろかモーニング娘。のコンサートに足を運んだことはなく、人生初のコンサートはPerfumeの「直角二等辺 三角形TOUR」でした。黄金期の過ぎたモー娘。のコンサートに今更行っても…って感じですし。

残念だったのは2003~2005年頃の加護ちゃんの全盛期に生で観れなかったことですね。きっと、松浦亜弥キャプテン公演のブギートレインのカバーなんて生で観たら、鳥肌ものだったんだろうなぁ~。

ちなみに、人生で初めて購入したCDは、松浦亜弥のファーストKISSというアルバムです。彼女見たさに、夜な夜な深夜番組の少女日記を視聴していたのは、めっちゃ良い思い出。

当時は、少女日記もそうですし、ハロー!モーニング、お願い!モーニングなど、北海道の深夜帯にモー娘。の冠番組が集中していました。

しまいにゃ、ラジオ番組の「タンポポ編集部 OH-SO-RO!」にまで手を出して、それがきっかけで、TBSのJUNK枠を知ったんだよね。「爆笑問題カウボーイ」から始まり、「伊集院光の深夜の馬鹿力」は、めっちゃ聴いてた。

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ポイントサイトとの出会い ネット内職の夜明け?(2004年頃)

ポイントサイトを中心に本格的なネットお小遣い稼ぎを始めるのは、まだまだ先のことなのですが、ポイントサイトとの出会いは2004年頃です。この時期は、丁度、就職した時期で、実家から札幌に引越しをしていました。

愛用のVALUESTARも持ってきていたのですが、入社間もない時期ということで、ほとんど触れることもなくなっていました。というか、2004年3月に発売されたドラクエ5のPS2版リメイクが面白すぎて、しばらくハマっていました(笑)。

しかも、その前までは、発売より少し遅れて買ったスペクトラルソウルズというIFのゲームに、めちゃくちゃハマっていました。

新卒前後から、ゲームにハマりまくってたという、完全に社会人をナメていますね(笑)。私のポイントサイトとの出会いは、「小林智子」こと藍玉さんの著書である「主婦もかせげるパソコンで月収30万」という本です。

この方は、元祖カリスマ主婦アフィリエイターという感じの立ち位置だったと思いますが、確か「悩みドットジェイピー」というWebサイトで一発当てたはずです。

本の内容もアフィリエイト中心だったのですが、個人的には、後半にオマケとして掲載されていた、おすすめオンラインポイントプログラム(ポイントサイト)の項目に興味をそそられたのです。

確か、フルーツメールやネットマイル、Gポイント、マイポイント(現エルネ)と、王道中の王道が紹介されていたはずです。そして、その中から取りあえずフルーツメールに登録してみました。

「主婦もかせげるパソコンで月収30万」を買った経緯

こちらの本は、2004年の7月に購入しているのですが、藍玉さんの本を購入したきっかけは、会社の先輩との会話です。その先輩は、私よりかなり年上の中途採用の方だったのですが、入社が私と近かったこともあり、よくお世話をしてもらってました。

仕事中にもよく雑談をしていて、その先輩から頻繁にアフィリエイトの話を聞いていました。その方は、男女のマッチングサイトを運営していて、月5万円くらいの収入を得ているようでした。

先輩的にはアフィリエイトが非常にホットな話題だったようで、独自ドメインの話なんかも、よく聞かされていましたね。そして、先輩の話を聞いているうちにアフィリエイトに興味が出て、購入に至ったという感じです。

初めてのポイントサイトで挫折!?

フルーツメールに登録して、早速、日々のポイント稼ぎを頑張っていたのですが、あまりの面倒くささに、すぐに投げ出してしまいます。

確か、あの当時のフルーツメールのメール配信のクリック単価が、3円~5円くらいあったはずなので、コレめちゃくちゃ高いんですけどね。それでも、ポイントサイト初心者の私には、とても耐えられるものではありません。

加えて、2000年製のVALUESTARを使っていたので、とにかく動作が重いんですよね。そして、会社を辞めた2008年まで、ネット内職とは無縁の生活を送っていました。

「トップをねらえ!タイピング ガンバスター」でブラインドタッチを習得

既にパソコン購入から5年が経とうとしていましたが、この段階でブラインドタッチはできませんでした。というのも、パソコンのキーボードを集中して叩くという習慣がなかったため、ホームポジションすらおぼつかない状態です。

しかし、直属の上司にあたる会社の先輩や総務のお姉さまたちの華麗なるブラインドタッチをまざまざと見せつけられて、一念発起したのです。特に、総務のお局様は、ガチで速かったですね。

少し話は飛んでしまいますが、上で触れた、直属の上司の先輩には、かなり感謝しています。とても、ユルい感じのキャラで、その上の上司が、かなり厳しい方だったので、絶妙な緩衝材として、機能してくれていたんですよね。

そこそこの規模の会社にもかかわらず、意外にユルい感じの職場でしたが、その直属の上司も相まって、面倒な事はできるだけやりたくない私でも、5年務めることができました。今では、あの先輩がいなければ、5年は続かなかった、なんて思っています。

肝心のブラインドタッチなのですが、タカヤ・ノリコの声の良さも手伝って、2週間程度で習得できましたね。ほんと、ダブルバスターコレダーとかスーパーイナズマキックの台詞マジで好きです。ノリコ「お姉さま、アレを使うわ」 カズミ「えぇ、よくってよ」。

これが2005年の出来事で、ブラインドタッチを習得した実益は、特にありませんでした。たんにキーボードを見ないで打てるとカッコイイって発想です。ただ、今となっては、この時期に覚えておいて良かったとは思いますね。

「HTMLとスタイルシートによる最新Webサイト作成術」でホームページ制作?

この本も2005年に購入したものなのですが、ちょっと、きっかけはわかりません。多分、会社での仕事にも慣れてきて、独学で何か勉強したいと思い始めてたのかもしれません。

しかし、この本も宝の持ち腐れ状態になって、サンプルサイトを作成した後に、飽きて本棚に眠っている状態でした。そういえばメモ帳のテキストエディタ機能についても、この本をきっかけに知って、「メモ帳って実は凄いんだな!?」と、かなり新鮮でした。

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運命の退社 冒険の始まり(2008年頃)

ポイントサイトに初めて登録してから、ずいぶん時間は経過しているのですが、2008年に5年務めた会社を退社することになりました。この時期って、札幌中央区の中心部の転換期っぽいところもあって、職場の環境が激変しました。

それまでは、勤務中にインターネットやり放題かつ、なぜか勤務先のネットが自社サーバーをくぐっていない状態で、フィルタリング機能なんて皆無でした。そのため、かなり色んなサイトで暇つぶしできたんですね。

しかし、私にとってのグルメ界のセーフゾーン的存在だった職場のヌルい環境も、中央区再編による激動の渦に巻き込まれ消え去ろうとしていたのです。加えて、結構、気に入ってた職場の面子も散り散りになってしまい、あまり、その職場にいる意義も見出せなくなっていました。

そして、軽い気持ちで辞めてしまいましたね。ただ、上司に相談するまでには、かなり時間が必要でしたけどね。

ニコニコ動画との出会い

特に何か目標があって会社を辞めたというわけではないので、すぐにネットでお小遣い稼ぎをしたわけではありません。まず、退社した1~2ヶ月後?にHPのデスクトップパソコンを購入しました。

2000年製のMeから低価格モデルとはいえ、デュアルコアのVistaへの乗り換えに感動を覚えましたね。これがきっかけで、Vistaにはめちゃくちゃ愛着があるのですが、いまだに1台は、中古のVistaを買って使ってますからね。

普通、パソコンのユーザーの場合、それがXPになるんでしょうけど、私はXPを飛び越えてVistaだったんです。

世間がクアッドコアで賑わっている時代に、デュアルコアでキャッキャ言ってるので、遅れてはいますが、遅れてやってきた快適なネットサーフィンに、1日中ネットをしてましたね。

そんな中で衝撃的な出会いだったのがニコニコ動画です。この当時のニコ動は、ユーザー生放送サービス開始前です。公式チャンネルでの生放送はたびたび行われていましたが、ニコニコ生放送(ユーザー生放送)が正式に開始するのは、2008年の12月です。

その出会いとは、日記タグの連中で、これはニコニコ生放送や個人ユーチューバーのはしり的な存在といってもいいくらいなんじゃないでしょうか。

「ニート鈴木」さんや伝説の飯動画でお馴染みの「くわかず」さん、Challengedタグの「ウスイレイスケ」さんなどなど、当時の日記タグには、灰汁の強い個性的な面々が揃っていました。

β時代の神「藤崎瑞希」なんてのもいましたね。なつかしぃ~。ユーチューバーの「ステハゲ」くんは、この「藤崎瑞希」の影響を受けたようです。

また、Peercastの佐々木さんは、同じくユーチューバーの「シバター」さんに影響を与えてるはずです。おそらく、「サシマン(マホト)」くんにも、少なからず影響を与えてるでしょう。

そう考えると、私がニコ動に参戦した時代のイズムは、脈々と現代へ受け継がれているんだなぁ、なんて思いますね。話を戻しますが、日記タグの先駆者的な存在でもあるニート鈴木さんですが、彼は初期の頃に「せどりTV」という、せどり初心者に向けた動画を作成していました。

ネットのお小遣い稼ぎに興味があった私は、せどりにも、もちろん興味があったので、よく視聴していましたね。そして、何かのきっかけに伝説の個人配信者である「永井先生」のニコ動にたどり着き、そこから更にsskこと佐々木さんの動画にたどり着いたのです。

ここから本格的に個人配信者の動画にハマって、ほんと、当時は永井先生と「ささやん」の動画を食い入るように見てましたね。永井先生の動画にハマるきっかけだったのが、弟の「ひろゆき」さんの「はぐメタ ブートキャンプ」って動画です。

ただ、Peercastの二大巨頭であるお二人の全盛期は、2008年より前なので、基本的に有志が転載したものを動画で閲覧していただけです。私の場合、この時代に個人配信系動画の嗜好が固まってしまったので、こと個人配信者に対しては、めちゃくちゃ厳しい評価基準を持ってますね。

お二人を除けば、今までに完全に認めた個人配信者って、永遠の最終兵器「ボブリシャス」と、ニコ生最後の希望「七原くん」くらいですかね。

Perfumeとの出会い

実は、ニコニコ動画は、Perfumeファンへのきっかけにもなっています。当時、ちょっと遅いんですけど、カエラちゃんの「Magic Music」、「TREE CLIMBERS」にハマっていまして、何気なくウィキペディアで、木村カエラの項目を調べたら、自分のラジオ番組でチョコレイト・ディスコをヘビーローテした、みたいな情報に出会ったんですね。

Perfumeの初見は、ACとのタイアップ企画で流されていたポリリズムのCMかと思いますが、特に琴線に触れるということはありませんでした。

しかし、ウィキペディアでその情報を見て、ニコ動でチョコレイト・ディスコを視聴したところ、ど・ハマリしまして、ほんと衝撃的でしたね。そして、2009年のライブ初参加へと繋がっていくというわけです。

人並みにMADにハマる

当時のニコ動は、生放送がなかったので、日記タグというよりかは、MAD系動画や「踊ってみた」や「歌ってみた」系が主流でしたよね。

踊ってみたや歌ってみたは、ボカロ系のは割と好きだったんですが、モーニング娘。とかPerfumeとか好きなアーティストのをやられちゃうと、殺意の波動に目覚めそうになるんで(笑)、諸刃の剣なんですよね。そんなこともあって、今では全くこのジャンルは見ません。

そして、行き着く先はMADということで、この当時から玉石混交でした。そんな私のベストMADは、「友蔵」氏関連の悪意とセンス溢れるMAD、余りの愛ゆえに逮捕者を出してしまった「裏パンレストラン」、組曲『永井動画』あたりですかね。

あと、ハロヲタとしては、久住小春ちゃんのバラライカが「ヤラナイカ」として、本家以上の知名度を誇ってたのは印象的でした。ハロプロ繋がりなんですけど、当時、okailove君って配信者いましたよね。℃-uteの岡井千聖さん好きの。

彼って、ほんと、早すぎたユーチューバーって感じで、あと何年か登場が遅かったらユーチューブで、億万長者になってたかもしれませんよね。

芸風がヒカキンさんが流行り始めた時期のユーチューブに、ガッツリマッチするというか、ほんと残念です。彼のヲタ芸とか、好きだったのに…。確か、祖母がゴディバ チョコレートの重役で、都内の豪邸に住んでるとか言ってたような?

okailove君やサシマンくん、山下威豆三くん、なんかは割と早い時期から個人配信をやってお互いに面識もあったようだけど、見事にサシマンことマホトくんが抜き出ていきましたよね。ネタであるはずの佐々木さんの山下くんへの説教が、まさに現実のものになろうとは!?サシマン軍団www

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一時200サイト超え!ポイントサイトにハマる(2008年頃)

ニコニコ動画での快適なネットサーフィンに、ふと以前に登録したポイントサイトのことを思い出しました。前は、2000年製パソコンの愚鈍さに辟易しておりましたが、この時の私にはデュアルコアがあります。

デュアルコアなら、たくさんのポイントサイトに登録しても、効率的に巡回できるのではないか?なんて思いから、再びポイントサイトでの活動が始まりました。私にとって、真のポイントサイト元年は、この時なんですよね。

Sleipnirと複数IP

私って、割と凝り性で、FF5の第一世界で、ものまねし除く、全ジョブマスターとか、FF4の最初期にセシルとカインをレベル99とか、普通にやっちゃいます。というか廃人。

そんな凝り性に火がついて、見かけたポイントサイトには、とりあえず登録して活動していました。全盛期には、200サイト以上登録するまでになって、その活動を影で支えてくれたのが、フェンリル社が開発したタブブラウザの「Sleipnir」です。

Sleipnirは、FFシリーズのファンなら、オーディンの愛馬ということでお馴染みですが、いずれも北米神話がモチーフになっています。普通の馬より足が多い爆速の馬のようですが、まさにグレイプニルをはちきらんばかりの爆速巡回を可能としてくれました。

軽量タブブラウザって、今でこそ当たり前ですが、IEなんて相手になりませんし、firefoxやOperaなんかと比べても、圧倒的に使いやすかったです。

Google Chromeも丁度、リリースした当初で、当時は今よりも爆速だったのですが、それでもカスタマイズ性も高いSleipnirに軍配が上がる感じでした。最近のChromeは、余計な機能が多すぎて、当初の圧倒的なスピードを忘れてしまってますよね。

実は、第一次ブラウザ戦争と第二次ブラウザ戦争の間には、ポイントゲッターたちによる第1.5次ブラウザ戦争があったんです。第三次は、従来までのブラウザにブロックチェーンが加わるのかな?

私の時代のポイントゲッターなら、スレイプニルの「いっき開き」でピンと来る方も多いのではないでしょうか?続いて、複数IPなのですが、通常、ポイントサイトは家族で利用した場合、広告利用やアンケート回答の際、IPチェックに引っかかると、ポイントを獲得できません。

しかし、家族分の口座とIPアドレスがあれば、単純に参加した人数分、収入が倍々になっていきますので、当時のポイントサイトでは奥義のような裏技でしたね。今となっては、一人一台スマホが当たり前の時代なので、意味はありませんが。

勢い余ってパソコン4台

我が家の全盛期の状態はパソコン4台をフル稼働させて、家族同士でダウンラインを構築したトラフィックエクスチェンジを24時間回してましたね。

加えて、アンケートサイトでは、4IPアドレスの効果が最大限に発揮され、全盛期は座談会などを除くWebアンケートのみで、最高月7万くらいのお小遣いになったこともありました。

普通、ポイントサイトとかアンケートサイトで大きく稼ぐ人って、紹介報酬や座談会、商品モニターの人なんですよね。ただ、座談会や商品モニターは、結局、首都圏周辺の人たちが圧倒的に有利で、紹介報酬もまともな広告媒体を持っていない私にとって難しかったです。

懐かしき過去の断片です。確かQUOカードが4万円分くらいあったはずです。全盛期は、毎日、何かしらの商品券が自宅に届いていた感じで、田舎にある実家に帰って、活動していたので、郵便局のおじさんに変な目で見られたこともありました(笑)。

ネット内職の初心者はアンケートがおすすめ

全盛期は、ポイントサイト、アンケートサイト、ブログライター、リードメール、トラフィックエクスチェンジ。これらの全てに登録していました。ブログライターもスピードライティングを極めし、私が統制をとることで、家族利用が最大限に活きましたね。

そんな活動の中で、ネット内職で簡単かつ、ちょっとしたお小遣いになるジャンルは、アンケートサイトなのではないかとの結論がでました。正式には、Webマーケティングリサーチという仕組みなのですが、上場してるマクロミルやインテージのキューモニターなんかが有名ですよね。

私は、クラウドソーシングのWebライターをしてお小遣いを稼ぐ方法にも自信を持っていますが、それと同じくらいWebアンケートの回答スキルにも自信を持っています。正直、極みに達しているとも思っていて、一般ユーザーのアンケート回答スキルとは、次元が違うと自負していますね。

ただ、Webライターに慣れてくると、1件1件の単価が違い過ぎるんで、私の回答スピードを持ってしても、やってられなくなってしまうんですよね。あれだけ熱を入れていた、ネット内職も、いまやクラウドソーシングでの活動だけになってしまいました。

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Webサイト遍歴

ポイントサイトやアンケートサイトには、紹介をして稼ぐ、アフィリエイトやリンクスタッフといわれる制度があります。友達を一人紹介して100円だったり、友達の広告利用で獲得したポイントの10%を永続的にもらえたりと、猛者の中には、これだけで数十万円稼ぐ方々もいます。

げん玉やゲットマネーの紹介報酬は、かなり有名でしたが、私も当然、それらを得るためにWebサイト制作にチャレンジしました。Webサイト制作を始める上で、一番影響を受けたのがSAKAKI氏が運営する「ネットで収入 スーパーガイド」ですね。

この方は、ポイントゲッターの中でも、かなり古参で、私が参入した2008年は、既に業界の全盛期は終わった後でした。大局を見れば、業界全体が緩やかに下降線をたどる状況で、それでも今と比べると、圧倒的に稼げましたけどね。

しかし、SAKAKI氏は、2000年くらいの黎明期から参入していたらしく、私が参加した時代には、既に一財を築いていたようです。私には、それがとても夢があるように思えたのですが、いざ、ホームページを作成してみると、からっきしでしたね。

いざ、Webサイト制作に初挑戦

一番最初に作ったのが、当時イチオシだったポイントハンターというポイントサイトを紹介したペラサイトだったのですが、CSSの知識が全くない状態で、HTMLだけを使って作成したゴミサイトです(笑)。無論、私以外の訪問者など来るはずもありません。

次に作成したのが「ネット内職虎の巻」というサイトで、最初のサイトと同様に「FFFTP」を使ってアップロードしてましたからね。これオフラインにデータが少し残ってるんですけど、ガチで恥ずかしい(爆笑)。こちらのサイトも多分、私以外の訪問者はいなかったでしょう。

続いて、FC2ホームページを使って、このサイトの前身でもある「お得ドットジェイピー」というサイトを作成しました。こちらも、もう消し去ってしまっているのですが、割と恥ずかしいサイトでした。名前も完全に藍玉さんからのインスパイアじゃん。

完全に仕上がる前に、「やっぱりブログだよね」ってことで、お得ドットジェイピーのFC2ブログVerが生まれてしまいました。ここで初めて「float」を使ったマルチカラムデザインを知って、それまでは、「table」で仕切るという、やっちゃいけない奴をやってましたからね。これが独学の怖さですよ(笑)。

ようやく形になるも…

そして、FC2ブログVerの「夢と金」が誕生します。このサイトが、ようやくWebサイトっぽいホームページの第一号ですね。ついでに、同じくFC2ブログに、夢と金の運営日記である「夢と金日記」も作成しました。

このブログがいわくつきで(笑)、途中から思ったことを好き放題書く、暴言日記と化しました。このサイトでの私しか知らない人からすると、ドン引きするかもしれません。

数年運営して、総記事も300程度はあったのにもかかわらず、日のアクセスが10~30程度でしたからね(笑)。純粋な雑談日記って、検索エンジンからアクセス集めるのかなり難しいんですよね。

さらに、ネガティブ系の日記って一定の需要があるかと思いますが、私の場合、ネガティブはネガティブでも、キレが半端ないんで、他人を寄せ付けないんですよね。でも、リアルでは割とマイルドな性格なんですけどね(笑)。ネットだとワイルドになりすぎちゃうんです。

ただ、そんな低調なアクセス数の暴言日記でも、記事の公開をやめる直前まで、通ってくれた方も何人かいらっしゃって、この方々には本当に感謝しております。

印象に残ったポイントゲッター

ポイントサイト系のブログでは「まみー」さんと「かおり」さん、そして、お二人と交流をするきっかけとなった「さら」さん、「ナテラ」氏が特に印象に残っていますね。かおりさんは、実働系ポイントゲッターの女王と呼ばれた方で、ポイント業界では、かなり有名な人です。

まみーさんは、ポイントサイトアフィリエイトの巧者で、私より数年も遅く業界に入ってきたのにもかかわらず、私を流星の如く抜いていったので印象に残ってます。

ポイントサイトのアフィリエイトで稼ぐ人って、基本的に胡散臭いのばかりです。とにかく紹介報酬目当てで、怪しいサイトも多いんですけど、まみーさんの場合は、正攻法のアフィリエイトで成功してますからね。

さらに、ポイントゲッターの中では、後発組に該当しますし、無料ブログかつメインサイトのみで、いまだにコンスタントに月10万以上の収入があるようですからね。実働系のポイントゲッターとして、この数字を収めるのは、相当な高難易度だと思いますよ。

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クラウドソーシングとの出会い

上で紹介したようなポイントサイトを利用しての生活は、1年くらい続きました。ポイントサイトとはいっても、ブログライターなども含みますが。

その過程で出会ったのが、クラウドソーシングです。私の場合は、ランサーズやクラウドワークスがスタートではなく、ポイントサイトやブログライターが、クラウドソーシングに繋がっていきます。

ポイントサイトの「げん玉」には、CROWDという、クラウドソーシングの一ジャンルである軽作業+ライターのみを取り扱ったサービスがあります。ポイントゲッターの私は、もちろん、げん玉にも登録していたので、手を出していました。

さらに、ブログ広告.comというサービスは、当初ブログライターがメインでした。しかし、クラウドソーシング市場が大きくなるにつれて、ライター作業にも力を入れ始めて、ココが私がライターとして、まとまった収入を稼ぎ始めた最初のサービスです。

そこから、当時、登場したばかりの「Shinobiライティング」などでも本格的に活動するようになりました。また、レビューサイトのレビュナビは、半ばライターサイト化してたので、ブームに乗じて、稼いだりしてましたね。

ランサーズとの出会い

そうこうしているうちに、力を付けてきたのがランサーズです。プロジェクトに初参加するまでは、かなりタスク作業をこなしていたと思いますが、ふとしたきっかけでプロジェクトに参加してからは、どんどんのめり込んでいきます。

ランサーズで月10万を超えるような金額を稼ぐようになったきっかけは、投資での負けです。それ以前も、ちょくちょく作業していたのですが、FXにも手を出すようになりまして、憎きバナナ野郎やドラキーの不用意な発言により、それまでの利益以上の金額である30万円が吹き飛んでしまいました。

これが投資での初めての負けなら、おそらく、意地になって取り返そうとしていたはずです。しかし、FXの前に1年くらい株式投資の経験もありまして、ある新興株を空売りしたところ、見事に踏み上げられまして、投資元本100万円のうち、80万円を失うという失態を犯してしまいました。

この負けのこともあり、私は投資には向いていないと潔く相場を退くことができました。しかし、私は妙なところが完璧主義でして、新しい門出は、必ず前回の門出より、良い条件でなければならない、という癖があります。

この理屈を当時の私に当てはめると、株式投資+FXでの負けを何かの収入で帳消しにしない限りは、新たなスタートを切るなど決してできない、となってしまうのです。

怒涛の百記夜行でスピードライティングをマスター!?

ここからランサーズでの常軌を逸したライティングが始まるのですが、1番稼いだ時が、1日8時間の作業を10日くらいやって、月20万くらいです。ポイントサイト活動も併用していたので、30万ちょっと、というのが私のこれまでの月の稼ぎの最高記録ですね。

正直、この時期は乗りに乗ってたので、一ヶ月みっちりとライティングをすれば、月100万超えも狙えたでしょう。実際に、1日4万とか3万とかを当たり前に稼げてた時代です。

この当時が凄かったのは、とにかく高時給を出しやすい依頼が多かったという点です。最近は、やりにくい依頼が多いので、時給2000円平均くらいなのですが、当時は、3000~4000円の時給が当たり前でした。中には、時給8000円を超えるような依頼もありましたからね。

ちなみに、私が凄い(笑)のは、1文字1円や2円という単価ではなく、1文字0.4~0.5円の依頼で効率的に稼げる点です。私は、これをスピードライティングと呼んでいますが、この単価帯で稼げるようになることは、Webライティングで飯を食うためには、最も重要なのです。

この後のことは、以前にこのサイトで語ったことがあります。それが、その年の年末に「 ぶどう膜炎 」を患ってしまうというものです。